プロフィール

ネイマール・ダ・シウヴァ・サントス・ジュニオル
身長175cm 体重64,5kg 右利き、誕生日1992年2月5日

ネイマール、本名ネイマール・ダ・シウヴァ・サントス・ジュニオルは1992年2月5日サンパウロ市近郊の町モジ・ダス・クルーゼス市で父ネイマール(父から名前を受け継いだ)、母ナジーニの間に生まれた。その後、サンビセンチ市、そしてサントス市に移住。2003年、11歳にしてサントスのジュニアチームに入団。その頃からすでにサントス内では別格扱いを受け、コーチ、スタッフから可愛がられていたという。ブラジル代表でもプレーし、ブラジル期待のホープ、ガンソことパウロ・エンヒケ・ガンソとはその頃からの友人。

少年時代、家は貧しくサンビセンチ市では郊外にある祖父の家の一室で父、母、姉と生活していた。しかし年齢を重ねるごとに自分で家族を養うようになる。14歳になるとネイマールはリアル・マドリードのテストを受けるためにスペインに渡る。テストには見事合格した。これを聞きつけたサントスのフロント陣は大物新人を失うことに焦りを感じた。そこで14歳の子供に異例中の異例とも言える100万レアル(*約4000万円)の契約金を提示。ネイマールはこれを受け入れ、サントスに残留した。

「ネイマールと大金で契約した。そしたらネイマールのお父さんがスペインに電話して彼をブラジルに帰国させたんだ。子供に大金を払ったもんだからみんなからは頭がおかしいと言われたよ」(マルセロ・テイシェイラ前サントス会長)

15歳のときの給料は月1万レアル(*約40万円)、16歳になると2万5000レアル(*約100万円)稼せぐようになった。そして2009年3月7日、ネイマールはわずか17歳にしてサントスのトップチームでプロデビュー。その約1週間後の3月15日にはサンパウロ州選手権モジ・ミリン戦でプロ初ゴールをマークしている。サンパウロ州選手権準決勝パルメイラス戦でも決勝ゴールを挙げ、会場を沸かした。ネイマールは同年の新人賞にも選ばれている。

2010年ネイマールはダービーマッチ5試合で5ゴールをマーク。サンパウロ戦でハットトリック、コリンチャンス戦、パルメイラス戦でそれぞれ1ゴールを決めた。同年にサントスはサンパウロ州選手権とブラジルカップを制覇。そのときの主力メンバーがネイマール、ガンソ、ロビーニョ、アンドレなどほとんどがユースチームからトップに昇格した若手で固められていたために、「街(サントス)の子供たち(Meninos da Vila)」といった呼び名で親しまれた。

この頃からネイマールの名は世界に知られ始め、欧州への移籍の噂が浮上する。その中でも有力候補だったのがプレミアリーグのチェルシーだ。しかし再びサントスのフロントがネイマールを失うまいとチーム残留を懇願した。サントスのルイス・アルヴァロ・デ・オリベイラ・リベイロ会長は、ネイマールとマネージャーを務めるネイマールの父を交えて緊急会議を開いた。そのとき会議室でルイス会長は突然部屋の電気を消し、誰も座っていない椅子を指してこう言ったという。

「この椅子は今までブラジルを代表するスポーツ選手が座った椅子だ。けれどアイルトン・セナが死んで以来、誰も座っていない。もしチェルシーの誘いを断って、サントスに残ることを決めたら、君はこの椅子に座るために一歩近くづくんだ」。

その直後、ルイス会長の携帯に電話が入った。かけてきたのはサッカーの王様ペレだった。ペレは15分に渡ってネイマールを説得。見事残留させることに成功した。

2010年ネイマールはブラジル選手権で17ゴールを挙げ、得点王ランキングで2位になる。また、チームはブラジルカップで優勝したことから翌年のリベルタドーレスカップの出場権を得た。2011年すっかりネイマールには「ブラジル最高の選手」の称号が定着する。サントスはこの年ネイマールの活躍もあって最高の年を迎える。サンパウロ州選手では決勝で宿敵コリンチャンスを破って優勝。ネイマールは決勝第2戦で1ゴールをマークした。また、リベルタドーレスでは決勝でウルグアイのペニャロールを破り、見事48年ぶりにサントスを優勝に導いた。ネイマールは決勝第2戦でも1ゴール挙げる活躍を見せている。

日本で行われたクラブ世界選手権でサントスは準決勝で柏レイソルを3対1で撃破。ここでもネイマールはきっちり1ゴール決めている。しかし決勝ではメッシ率いるバルセロナに4対0で完敗。試合後、ネイマールは、「バルセロナは無敵なんかじゃない。でも現時点で世界最高のチームだ。この試合で多くのことを学んだので、ブラジルに持ち帰りたい。バルセロナがサッカーを教えてくれた」とコメントしている。

ネイマールは奇しくもそのバルセロナに2013年6月に移籍を決めた。そして彼の活躍は続く、、、、、、

注 *金額は2012年10月現在の為替に基づいています。

ブラジル代表

2009年、ネイマールはU17ブラジル代表としてU17ワールドカップに出場。しかしネイマールは日本戦(3対2でブラジル勝利)で1ゴールを決めただけで大きな活躍はできず、チームも予選を1勝2敗(メキシコ、スイスに敗戦)で終え早々と姿を消した。

2011年にはU20ブラジル代表の一員として南米選手権に出場。初戦のパラグアイ戦で4ゴールを挙げる大活躍を見せた。「ディアリオ・オレ」誌はネイマールをディエゴ・マラドーナにちなんで「ネイマラドーナ」と呼んだ。ネイマールは同大会で9ゴールをマークし、チームの優勝に貢献すると共に得点王にも輝いている。

A代表
2010年7月26日、アメリカとの親善試合でマーノ・マネゼス監督のA代表に初選出、デビュー戦でヘディングシュートを決めた。それ以来、2013年7月現在まで38試合に出場し、23ゴールをマークしている。

五輪代表
ロンドン五輪にブラジル代表の一員として出場。3ゴール決める活躍を見せるもチームは決勝でメキシコに敗れ、銀メダルに終わる。

コンフェデレーションズカップ

コンフェデレーションズカップには背番号10番をつけて出場。通算4ゴールをマークし、得点王ランキングでブロンズブーツを獲得したほか、大会MVPのゴールデンボールに輝いた。