若くして結婚し、2人の子供にも恵まれ、世間からは完璧な夫婦とも言われていたブラジル代表のカカと妻のカロリーネ・セリコが正式に離婚を発表した。二人の間に一体なにがあったのが? 知られざるカカの元妻の素顔に触れてみる。
ブラジルのメディアは4日、一斉にカカとカロリーネ・セリコの9年にも及ぶ結婚が終焉を迎えたことを報じた。ニュースは日本にも伝わり話題となった。カカは世界最優秀選手にも選ばれたことのある選手だけに知っている人も多いが、お相手のカロリーネ・セリコのことはよく知らない人も多いだろう。日本ではざっと紹介されているが、ここではもっと深く掘り下げてみたい。
カロリーネ・セリコは1987年7月26日、父セルソ・セリコと母ロザンジェラ・リラの下に生まれた。父は企業家、母は高級ブランド、クリスチャン・ディオール・ブラジルの幹部という裕福な家庭に育った。カロリーネ・セリコには弟エンリコがいるが、そんな家族も彼女が6歳の頃に両親の離婚によってばらばらになった。両親の離婚後、カロリーネ・セリコは父親と母親の両方の家を行き来する生活を送った。特にファッション界では有名だったやり手のキャリアウーマンの母親と仲が良く、子供の頃から母親の事務所で遊んだり、ニューヨークやパリなどの出張にも付いて回った。その影響もあり、ファッションや芸術に対しては人一倍興味を抱いた。その一方で父親の強い教育方針もあり、勉強も決して怠らず、学校での成績も優秀だった。
しかし親の仕事の都合で子供の頃に何度か引越しを余儀なくされた。そのせいで転校を繰り返し、学校に馴染めない時期もあり、いじめを受けたこともあるという。そんな中、11歳のときに転校した学校で転機が訪れた。現在まで仲良しの親友たちはみんなこの頃に知り合った。そしてなにより充実した学生時代を送っているときに知り合ったのが後に夫なるカカだ。
もともとカロリーネ・セリコの母親とカカの父親が知り合いだった。ある日、カカが家族と家に遊びにきたことがきっかけでカロリーネ・セリコと遊ぶようになり、家で二人で一緒に映画を見た日から恋愛に発展したという。カロリーネ・セリコにとっては人生で初めてできた彼氏だった。当時カロリーネ・セリコは15歳、カカは5歳上の20歳だった。交際後、カカが熱心なプロテスタントであることを知ったカロリーネ・セリコは宗教に興味を抱き、同じ教会に通うことにする。初めて教会を訪れた日、プロテスタントの教えに感銘を受け、自身も教会に通うようになった。この影響でカロリーネ・セリコは後に牧師の資格も取っている。
カカとカロリーネ・セリコは結婚するまで純潔を守ったことで知られているが、実はそれは宗教的な理由ではなく、カロリーネ・セリコの子供からの夢だったという。彼女は結婚するまで純潔を保つことができればお姫様のような気持ちになれるとただ純粋に信じていたのだ。カカと付き合ったばかりのときにその思いを打ち明けた。カカが自分を見捨てるんではないかと思っては恐怖もあった。しかしカカは快く承諾した。その日から二人は自然と結婚を意識していくようになったのだ。
二人の交際が始まってから2年が経ったとき、カカはサンパウロFCからACミランに移籍。それからしばらく二人は遠距離恋愛をすることになった。一緒にいたくてもいられないつらい日々だったが、あることがきっかけで二人の距離がぐっと縮まる。カロリーネ・セリコが18歳の誕生日を迎えようとしていた矢先、イタリアのベネチアでカカからプロポーズを受けたのだ。そして18歳のときに結婚。二つのスーツケースだけを抱えて夫の後を追ってイタリアに引っ越した。長い結婚生活のスタートである。海外での新生活といっても、カロリーネ・セリコはイタリア系で父方の祖父祖母はイタリア人である。そのせいかイタリアに馴染むのも早かった。ミランではカカの帰りをただ待つだけの主婦にはならなかった。料理が好きだったこともあり、まもなくしてパーク・ハイヤットホテルの厨房で働き始めた。その傍ら、母親の血筋なのかファッションのメッカでもあるこの土地でファッション・ビジネスの勉強も始めた。そしてオスピタリティー、料理、ファッションを融合したイベント会社パーティー・デザイン・ミラノを共同経営者のクリス・アイローザと共に設立し、企業のイベントや結婚式をプロデュースした。
若くしてビジネスの世界でその手腕を発揮し始めた彼女にしかし21歳のときに転機が訪れる。長男のルーカ君が生まれたのだ。それを機に会社を共同経営者に譲り、自分は母親業に専念することに決めた。しかし子育ては思いのほか大変だった。いつも計画的に、予定通りに物事を進めるのが当たり前だった彼女も子供のこととなると、そうはいかなかった。赤ん坊は決まった時間に寝てくれず、決してタイミングよく起きてもくれなかった。
そんな中、 カカがACミランからレアル・マドリードに移籍することになった。今度はイタリアからスペインに引越しである。まだ小さかったルーカ君を抱いたままカロリーネ・セリコは全く新しい街で、全く新しい生活を始めなくてはならなくなった。カロリーネ・セリコはカカと交際し始めてからずっと教会には通い続けていた。彼女には教会の教えを伝えようと、長年温めていたプロジェクトがあった。ゴスペルの歌をレコーディングし、それをリリースすることだ。スペインに拠点を移してから本格的にプロジェクトを進めていき、歌手活動もスタート。初めてレコーディングした曲をインターネット上で無料でリリースしたところ、わずか数日の間に100万ダウンロードを記録。その後、CD、DVDも生産した。
その後、2010年南アフリカワールドカップにカカがブラジル代表として出場。大会の直後に次女イザベラちゃんを妊娠し、翌年4月に二児の母になった。ファッション、料理、音楽となにをやっても成功してしまい、母親としても二人の子供に恵まれた。一見順風満帆に見える夫婦が一体なぜ離婚に追い込まれたのだろうか。
離婚の原因の一つとなったのはカカの浮気だとブラジルの一部のメディアは報道している。また、浮気の相手が一人ではなく女優のイスス・ヴェルヴェルジやモデルでミスブラジルにも選ばれたジャケリーネ・オリベイラと複数の女性の名前が挙がっている。しかし浮気が原因とされる一方で、カロリーネ・セリコは昔こんなことを強く口にしていた。
「カカが浮気したとしても許せます。男性が浮気したら、それは女性の責任。女性が男性に十分なものを与えていなかったから浮気するのです。それは優しさだったり、会話だったり、共同作業だったり。もしカカの浮気を見つけたら大変なことだけど、それは私が何かミスをしているということでもあるんです」。
ほかにもカカが2015年からアメリカのサッカーリーグMLSのチームに移籍することが決まっており、カロリーネ・セリコがアメリカ移住に反対していることが二人の破局の原因だといった声もある。いずれにしろ夫婦の間に起きたことは二人にしか分からない。離婚発表の際、二人はメディアに対して次のようなメッセージを伝えている。
「9年間の結婚生活の末、お互いの合意の上で私たちは別れることになりました。二人の間には愛する二人の子供もいます。お互いの生活にとってお互いの存在は重要であり、リスペクトと感謝は今後も続いていきます。皆様のご理解と優しさ、そして大きな変化に直面している家族に対してプライバシーを与えてくださることをお願いいたします。」