乱暴者か、それとも少年の心のまま大人になってしまったのか。今回の噛み付事件ですっかり悪いイメージが付いてしまったルイス・スアレスだが、その一方で彼にまつわるエピソードの中には人々を感動させるものも多い。「ルイス・スアレスの膝を治したドクターは癌だった」もその一つだ。だからこそこれだけウルグアイで人気があり、事件後もなお彼を支持するファンが多くいるのだろう。そもそもいかにしてルイス・スアレスはここまでの国民的選手に上り詰めたのか。それを語るのに忘れてはならない一人の女性がいる。
ルイス・スアレスのサッカー人生において最も大切は人といえば妻のソフィア・バルビさんに他ならない。ルイス・スアレスがソフィアさんと知り合ったのは14歳のとき。驚くことに2歳年下のソフィアさんとルイス・スアレスはその頃から現在にいたるまでずっと一緒なのだ。両親が離婚し、落ち込んでいたときにルイス・スアレスを励ましたのはソフィアさんだった。夜遊びばかりして学校をやめようと思っていたときも続けるように口を酸っぱくして言い続けたのもソフィアさんだった。そしてなにより自分を信じて、プロサッカー選手を目指すように説得したのがソフィアさんだったのだ。
そんな二人にあるとき突然別れがやってきた。2002年、ルイス・スアレスが16歳、ソフィアさんが14歳のとき、ソフィアさんは家族と一緒に経済不況だったウルグアイを捨てて、スペインのバルセロナへと引っ越すことになったのだ。貧しかった二人の家庭環境を考えれば、そのときの別れが「また会おうよ」といった軽い別れではないことぐらい二人には分かっていた。二人は遠くに離れてもスカイプで連絡を取り合い、愛を誓い合った。しかしルイス・スアレスが彼女にもう一度会うにはサッカー選手になって欧州でプレーするぐらいしか他に方法がなかった。
ついにプロになる決心をしたルイス・スアレスは猛練習をした。翌年の2003年にはウルグアイの強豪ナシオナル・モンテビデオのユースに入団。17歳になる目前にチームの幹部に無理を言って、バルセロナへの航空チケットを買ってもらった。もちろん彼女に会いに行くためである。そしてバルセロナの美しい景色に魅了されながらこう思ったという。「絶対に欧州でプレーして見せる」と。2005年にナシオナル・モンテビデオでプロデビューすると1年目でいきなり35試合に出場し、12ゴールを挙げる大活躍を収めた。その活躍がオランダのFCフローニンゲンの目にとまり、翌シーズンに移籍。そこでも37試合に出場し、15ゴールをマークした。、ルイス・スアレスがバルセロナのソフィアさん一家を訪ね、両親に許可をもらい、ソフィアさんと一緒にオランダで暮らせるようになったのもその頃だ。
その後、ルイス・スアレスはオランダの強豪アヤックスで4シーズン、イングランドの強豪リバプールで4シーズンを終えて現在に至る。ルイス・スアレスとソフィアさんの間には現在2人の子供がいる。
ルイス・スアレスは奥さんについてこう語っている。
「彼女との出会いは僕の人生にとって、また僕の考え方や全てにおいて、大切な出来事だった。自分がやってきた多くのことは彼女が僕を信じてくれたおかげなんだ。僕は怠け者だったんだけど、彼女は勉強をするようにいつも言ってくれたんだ」。
悪童や暴れん坊などの自分のキャラについては、過去のインタビューでこう答えていた。
「もしピッチの中でこの性格じゃなかったら、そもそも今のような選手にはなれていなかったと思う」。
ルイス・スアレスがただの優しい男だったら、激しい競争に敗れ、ソフィアさんとも結婚していなかっただろう。少年のときに誓った愛を守るために、ルイス・スアレスはがむしゃらにここまで突っ走ってきたのだった。